小説

『海亀の憂鬱』泉谷幸子(『浦島太郎』)

――竜宮城によろよろと戻って参りますと、入り口には予想通り乙姫様が青い顔で立っておられました。持参した紐の解けた玉手箱をお渡ししたとたん、乙姫様は崩れ落ち、いつまでもいつまでも泣き続けておられるのでした。
――乙姫様は喪に服されて3年後、ようやく元の生活に戻られました。太郎様がいらしたのが3年ですから、この100年のうち6年は太郎様一色だったことになります。その後はこれまでと同じく溺れ死にかけている若者を連れてこさせ、遊んだ後丸呑みするということを続けておられます。やはりもともとの性分なのでございましょう。ただ、初めて会う若者を見る時に、少し探るような目つきをされるようになったのは、そこに太郎様の面影が少しでもないかと思われてのことという気がいたします。なぜなら、わたくし自身がそうでございますから。あの夢のような時期が過ぎ去ってしまった今となっては、乙姫様もわたくしも同じような思いでいるのでございましょう。しかし、あのお顔立ちの優れた美しさ、あの包み込むような笑顔、そしてあの胸に染み入るような声をすべて兼ね備えた若者が再び現れることは、今日の今日までございませぬ。
――それにしても、太郎様は竜宮城に来られてお幸せであったのでございましょうか。3年であってもただ楽しく暮らすのと、数十年の人生を全うするのと、いえ、全うすることすらできない場合も多々あることを考えれば、いずれが幸か不幸か、わたくしには判断しかねるのでございます。もっと言えば、幽閉の身になられて何千年も閉じ込められて享楽に浸りつつ暮らすのと、その下で働きつつ海と陸を行き来するのと、陸で広い社会の中で暮らすのと、いずれが幸でいずれが不幸なのでございましょうか。長年生きているわたくしではありますが、考えれば考えるほどわからなくなってくるのでございます。
――わたくしはこの100年の間、これまでになく色々考えることが多くございました。そしてそれにどうしても答えを導くことができませぬ。年をとったせいか、それが大変つらくなってまいりました。わたくしは乙姫様にお仕えして相当な年月がたちます。そろそろお暇をいただき、隠居生活を送りたくなってまいりました。乙姫様も最近は落ち着いておられるので、新しい目付け役が来られても大丈夫と存じます。海神様にはぜひともご配慮賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。後任の選出にもお時間が必要でしょうから、ご判断は今でなくとも、次回の100年後でも結構でございます。勝手な申し出ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 海亀は話をそのように締めくくって、恭しくお辞儀をしてから竜宮城に向かって去っていきました。海神様はひげを軽く震わせ、鱗に包まれた長い長い身をゆっくりと揺らしながら、ふうとため息をついて、いつまでも物思いにふけっておられるのでした。

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