小説

『マヨイガ』土橋義史(『遠野物語-マヨヒガ』)

 高橋が消えた辺りをしばらく見つめてから、遠山は川面に視線を戻すと指に挟んだまだだったタバコを唇に運び、せわしなく煙を吸い込みながら考える。
 マヨイガについて思い出す限り、そこに行くことができる者は、それについて何も知らないことが条件のようだ。知っていれば、そこにはたどり着けない。だから今、高橋にはマヨイガのことは一切話さなかった。ただそこに行って、何かを持って帰ってこいといっただけだ。高橋にしてみれば俺の言うことはいささか納得しがたいものがあるだろうが、詳しく話せば二度とマヨイガを見つけられなくなる。そうなると、金持ちになるチャンスをみすみす逃すことになるのだ。きっと高橋はマヨイガを見つけるだろう。そして何かを持ってくるはずだ。それを、なんだかんだと言いくるめて俺が横取りしてしまえばいい。そうすれば俺が金持ちになれる。まさか、単位をとるためだけにとった民俗学の講義が、こんな形で役にたってくれるとは思いもよらなかった。高橋には申し訳ないが、このことは永遠に胸の中にしまっておこう。
 一人ほくそ笑む遠山は短くなったタバコを水面に弾き飛ばした。小さな赤い火がジュッと音を立てて細い煙を上げた。
 ほどなくして遠くから枯れ枝を踏みしめる足音が聞こえてきた。出迎えるように立ち上がった遠山の前に高橋が姿を現す。手に柄杓を持って。
「ありましたよ、家」
 高橋は鼻息を荒げてそう言うと右手に握った柄杓を持ち上げた。
「これが証拠です」
 遠山は眉根を寄せてその柄杓を見る。庭に水を撒くためのありふれた木製の柄杓だ。
「なんだよ、それ」
「だから、柄杓です」
「そんなことは分かっているよ。だから何で柄杓なんだよ」
「だって何でもいいって言ったじゃないですか」
「何でもいいって言ったけど、もっと他にあっただろう。お椀……とかさ」
「お椀ですか?なんでお椀?」
 いぶかしげな眼差しを向ける高橋に、遠山は慌てて頭を振ると、
「ああ、いや。別に。何でもいいって言ったもんな」
「ですよね」と、唇を尖らせて、高橋は言葉を続ける。
「そもそもあの家の中に入るのは気味が悪いんですよ。だから、門の横に桶があって、その中にあったこれを持ってきたんです。水を撒くためですかね」
 そう言って柄杓を振り回して水撒きのジェスチャーをする高橋を尻目に遠山は考える。
 まあ、いいか。確かに何でもいいってことなんだから柄杓でもいいだろう。お椀を持ってきたからって、別にお米が減らないようにするのが狙いじゃなくて、それを持ったことをきっかけに幸運になり、金持ちになることが狙いなんだし。柄杓だって、持っていればきっと幸運が舞い込んでくるはずだ。
「それは大変だったな」
 遠山はそう言うと高橋が持つ柄杓を指差す。

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