小説

『日出ずる村の記』虫丸尚(『聖徳太子伝記』)

 おーおーという声は、次第に小さくなり、遂には聞こえなくなった。そして五分ほどのち、再び岩窟の中よりその声が近づいてくる。拝殿の人々は、一斉に深々と頭を下げた。私の身体は、寒さと緊張で一気に凍りつく。岩窟の入り口に現れたのは、長左衛門だけではない。老翁に手をひかれて、もう一人、長い白髪を垂らし、腰を丸めた老婆らしき姿が見えた。らしき、というのは老婆の顔に「小面」という清らかな乙女をあらわす能面が張り付いていて、実際の容貌を見ることができないからだ。しかし、明らかにその姿は、足元のおぼつかない弱々しい老婆であった。
 白い薄衣をまとった老婆の出現に、一同は手を合わせて礼拝した。長左衛門は、持っていた手松明を春夫に渡し、もとの座に戻った。春夫は、まとっていた一枚の衣を肩から滑らせ、透き通るような白い肌をあらわにして岩窟に歩み寄っていく。そして、老婆の手を取ると、一度も振り返ることなく岩窟の中へと消えていった。

 それから一時間ほど、拝殿では酒盛りが続いた。
 東の山に、朝日が昇る。新しい太陽の出生である。

 私は、寒さに耐えられず、酒盛りの始まる頃に家に駆けて帰った。その日の夕暮、普段と変わらず制服を着た春夫が自転車に乗って帰宅するのを、二階の窓から眺めていた。まるで全てが夢のように思われた。

 十六歳の誕生日を迎えた時、私は父に呼ばれた。家の座敷には仏壇が置かれている。その前に父が座り、私は父と向かい合った。二人の間には、例の家系図が広げられている。その一番初めに書かれていたのは、「玉祖宿禰の祖大荒木命」という文字だった。読み方すら分からず、意味不明だった。父は「私たちの祖先はこの地で勾玉を作っていた玉(たま)祖(そ)という一族で、その一族の祖神が大荒木(おおあらきの)命(みこと)という神様なのだ」と教えてくれた。そして、その下には、何十人も父の代にまで連なる先祖の名が記されていた。喜兵衛という名が長く続いたらしく、いくつも見られた。村の人が時々「喜兵衛さんとこの子」と私を呼ぶのは、このためだったのだ。我が家の通称になっているらしい。
 そして、所々名前の右上に朱で「日子」と書かれた人たちもいる。祖父にはないが、父はそうだ。私は、この朱の文字を指さした。父は深くうなずいて口をあけた。
「日子(ひこ)というのは、この村の大切な役目を果たした人のことをいうんだよ」
 私は、じっと父の目を見た。父は、続ける。
「岩倉神社を知っているだろ?あそこには、誰も入ってはいけない岩窟がある」
 その時、私はすぐに合点がいった。春夫は、あの夜、日子になったのだ。
「まだ夏至になるまで詳しいことは話せないが、おまえは、冬至の夜に日子のお役目を担うことになる。それまでは、絶対に女と遊ぶな。まさか、もうおまえ?」
 父の目が、私の胸中を探る。私は、首を激しく横に振った。

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