小説

『浦島太郎』浴衣なべ(『浦島太郎』)

 私のこの屋敷で与えられている役割は、客人の送迎に関することだ。女主人の言葉は正しい。これから別室で彼をもてなす催しが開かれるのだろう。歌や舞の達者なものが芸を披露し、厳しい鍛錬に耐えた職人が御馳走を用意する。いつも通りのことだ。鈍重で不器用な私では、これ以上彼を喜ばすことなどできない。それが正しい行いだと信じて、私は屋敷外にある自分の持ち場へと戻った。
 通常では、屋敷に客人が来た場合二、三日接待を受けてもらい、それが終わると私が客人を自宅近辺まで送り届けるのが普通だった。今回も、そうなるのだろうと思っていた。けれど、その予想は外れた。
 女主人の様子が変わった。皆が口をそろえてそう噂していた。
 初めはいつも通りこの屋敷の代表者だと自覚した態度でいたらしいのだが、彼と接するうちにその毅然とした態度は徐々に軟化していったそうだ。やがて、屋敷のものたちには見せたことのないような表情を彼に見せるようになり、二人の共有する時間は徐々に伸びていった。
 屋敷の中での彼の評判も良かった。彼は礼儀正しく、それでいて堂々とした振る舞いをしており、皆の警戒心を解く頼もしさがあった。屋敷に彼が長期間滞在することを不快に思う者はおらず、むしろ、このまま帰らないでもらいたいと望むものも現れた。女主人と彼は、違う場所から生えた蔦と蔦が触れ合い絡み合っていくように、行動を常に共にするようになった。そして、周囲にはそれを祝福する雰囲気があった。
 数か月が経過した。もはや彼が屋敷の中にいることに違和感を覚えるものはいなかった。この屋敷との接点を作ったということで私は彼と話す機会が他のものよりも多かった。何気ない挨拶や彼が私の調子を窺う言葉、そのちょっとしたやりとりが行われるだけで、単純な私はその日一日を幸福な気持ちで過ごすことができた。けれど、私の本来の持ち場は屋敷の外なのだ。日々、屋敷のものたちと打ち解けていく彼は滅多に外に出てくることがなくなり、日に何回もあった会話が一回となり、一週間に一回となり、一か月に一回あるかどうかとなった。日照りが続き川の水量が細くなっていくように、少しずつ彼と私の繋がりは細くなっていった。
 これまでの私は、女主人の横にいても彼女に対する憧れ以外なんの感情も抱かなかった。しかし、今はどうだろう。もし仮に、彼女の横で比較されるようなことがあれば、私は羞恥のあまり顔を隠し、物言わぬ無機質の塊のようになるだろう。どのように着飾っても美しく映える美貌、柔らかく瑞々しい肌、細く滑らかな肢体。どれをとっても私にはないものだ。私は今、彼女と比べられることが何よりも恐ろしい。余計なことを考えれば考えるほど、自分の中の臓物が腐っていくような気がした。胃や肺がぐずぐずに溶け、そこから発生する甘く、鼻を覆いたくなるような黒い霧で体の中を埋め尽くされるような恐怖を感じた。誰かの前に出るとき、この臭気が漏れてはいないかと心配するようになった。そして、彼と接するのを無意識に避けるようになっていたことに気付いたとき、もう駄目だと、私は何かを諦めた。

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