小説

『陽のあたる帰り道』清水健斗(『姥捨山』)

 待合室へ戻ると、母が心配そうにこっちを見た。
「雄星、大丈夫だったって。火傷の痕も多分残らないって」
「そう、よかった」
「理沙が母さんにすごい感謝してたよ。御母さんの声が無かったら、どうなってたか分からないって」
 理沙の言う通り、母が居なければどうなったか分からなかった。はたして、このまま母を預けてしまっていいのだろうか?ここに来て迷いが僕を襲った。
「そんな、大した事はしてないよ」
「……母さん、ここまで来て今更なんだけど。やっぱり、ずっと一緒に」
「大高さん。大高幸子さん」
 どうしていつも僕はタイミングが悪いのだろう。肝心な所で、いつも会話が途切れる。僕が俯いている僅かの間に、母は担当者と共に、エレベーターへ乗り込んでいた。僕は自然と母を追いかけていた。

「母さん!」
 母を止めようと、僕はかなり大きな声を出してしまった。
 エレベーターの母が一瞬ビクッと肩を揺らした。何も言わず僕の方を見る。そして、いつもと変わらない笑顔を残すと、無情にもエレベーターの扉は閉まった。
 僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 それから、2年の月日が流れ母はこの世を去った。晩年は認知症がかなり進んでしまったが、僕らの事は最後まで忘れる事無く、穏やかな最期を迎える事ができた。
 雄星は火傷の痕が残る事無く、普通に生活している。
「パパ、いくよ」
 大きく振りかぶり、僕へボールを投げる雄星。
 毎週土曜日、理沙が買い物をしている間、雄星と公園でキャッチボールをしている。
「いくぞ、それ」
 ボールを投げ返したが、雄星はボールを後へそらしてしまった。ボールを追いかける雄星に、昔の自分がリフレインした。
(子供の頃、母さんとキャッチボールしたな……)
「痛て」
「パパ大丈夫?」
 思い出に浸っていたため雄星の投げたボールが僕の顔に当たってしまった。慌てて雄星が近寄って来て、僕の顔を覗き込んだ。
「ははっ、大丈夫だよ」
 雄星の頭をくちゃくちゃとなで回し、それにつられて雄星が大声で笑い出した。
「ねぇ、ママ遅いね」
「そうだね」
 ふと、母が別れ際に浮かべた笑顔が頭を過った。
「なぁ雄星……ママの事好きか?」
 唐突に聞いたせいか、雄星は一瞬キョトンとした表情を浮かべた。しかし、すぐ笑顔になった。
「大好きだよ!ママが世界で一番好き」
「パパは?」
「う〜んと……」
 宙へ視線を泳がす雄星。我ながら少し意地悪な質問をしてしまった。
「冗談だよ。なぁ雄星、パパと約束してくれない?ママをずっと大事にするって」
「?」

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