小説

『甘やかな病』柿沼雅美(『少女病』田山花袋)

 ドアが開くとまたいつも通り、人がわっと外へ流れていく。すみれたちも例外なく押し出されていく。
 カチッ、と何かが落ちる音がして、見るとバレッタがホームに着地してバウンドしたところだった。彼女はしゃがみそれを取ろうとする。バレッタはやっぱり彼女のものだった。彼女はバレッタを取った、にも関わらずホームの真ん中をめがけてぽいっと放った。
 男が電車から降りてきて、その目が彼女とバレッタを捉えた。彼女が放ったバレッタを取りにいこうとしないことにも気が付かず、まさか彼女自身がさらに放ったなんて考えも及ばず、男はバレッタを追った。
 階段へ向かう人の流れを真横から断ち切るような男の行動に、舌打ちをして過ぎていく男女もいた。そんな人々の足に何度もからまって、バレッタは真ん中を通り越して向かいのホームに転がっていった。
 男はバレッタだけを見て追っていた。心の中には、彼女がいるのだろう、昨日の彼女の、わたしのです、ありがとうございました、という声を何度も耳元で再生させているのかもしれない。
 バレッタを取ることだけが使命かと思うほど周りを見ていないせいで、男は黄色い線の内側で躓き、大きな毬のように転がって、電車の去った線路へ転落した。危ない、と車掌が声を上げ非常警笛が空気を劈いてけたたましくなった。誰もが、紅い血が線となるのを想像した。
 電車が地を撼かすよりも先に、すみれは駆け出し、ホームから男へ手を伸ばした。男も咄嗟にすみれに手を伸ばそうと体勢を起こした。
はじめて、すみれは男と目が合った。バレッタはリボンを歪めて男の足元に落ちていた。

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