小説

『甘やかな病』柿沼雅美(『少女病』田山花袋)

 いつも通りドアが開き、押し込まれるように彼女が乗ってきた。やはり今日も髪は結ばれていないし、バレッタを身に着けているのも見えない。
 彼女はすぐにすみれに気がついた。いかにも人の流れに乗ってきた、という自然なタイミングですみれの隣に立った。こんなに近くで彼女を見たのは初めてだったし、あの男からの視線を感じたのも初めてだった。男が見ているのは彼女だと分かってはいても、だ。
 近くで彼女を見てみると、ナチュラルなのではなくナチュラルに見せているのが分かった。肌は薄くファンデーションかCCクリームを塗っているようだし、眉毛は整えられている。まつげは繊維の多くないマスカラを一、二度塗った形跡がある。チークはつけていないもののうっすら色付きのリップを塗っていた。セーラー服のスカーフの結び目の奥には、小粒のネックレスが光っていた。一瞬上目遣いでつり革を見た彼女は、自分が制服を着ている年齢できらきらとした特別な時期であることを自覚しているように見えた。
彼女はすみれが思っていた以上に、女だった。
 いつも見てますよね、と、甘やかな匂いを乗せた声が聞こえた。
 すみれは急に話しかけられたことに驚いて隣の彼女に顔を向けた。口元に笑みはなく、スマートフォンをいじりながら真顔のままだった。それでも、明らかにすみれに話しかけていた。
 「いつも見てますよね、あの人」
 彼女は近くにいてもあまり聞こえないくらいの声で言った。
 あの人、というのが男のことであるのはすぐに分かったが、男が彼女を見ていることを指しているのか、すみれが男のことを見ていることを指しているのか、考えなければならなかった。
 「気持ち悪くないですか?」
 え、とすみれが彼女を見ても、彼女はスマートフォンから目を上げない。
 「あぁいうの、ほんとに嫌なんですよね。友達とも話すんですけど、あぁいうのがいるからわたしらに変なバイト持ちかけてきたり、盗撮されたりするんですよね」
 彼女はスマートフォンを上に下にスクロールしながら友達のトークをざっと見ている。
 「でもあの人が何かしてるっていうわけでもないから」
 声を絞り出すようにしてすみれが言うと、彼女はやっとすみれを見て、へー、と言って無邪気な顔で笑った。
 「ですよね、好きなんですもんね」
 彼女は鼻で笑うようにして言った。好きなんですもんね、と彼女の声がすみれの脳内をまわりまわった。
 駅に近づき、電車がカーブするのと同時に、彼女はすみれに背を向けた。彼女の肩ごしに男が見え、戸惑ったような表情をしている。きっと彼女と目が合っているのだろう。きっと彼女は、今すみれに見せたのとは全く別の雰囲気と表情を作って男に見せているのだろう。そして男はそんな彼女が彼女の全てだと思っているのだろう。

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