小説

『裸のオーサワ』丸山肇(『裸の王様』)

「どれも高い原価の材料で作られているので、宣伝費をかけずに実力で勝負できている商品といえます。コストパフォーマンスは最高です」
 面倒だから任せてしまえという気持ちに、オレはほぼなっていた。
「個別に買えば合計が3万円を超えますけれど、値上がり前に仕入れていた在庫を含むので、さらに勉強して特別に2万円でいいですよ。数には限りがあります。この値段は先輩だけです」
 オレはセットで買うことにした。
 値段の高いランクにしたので、実際には2万3千円に消費税で2万4840円だった。加えて外国製の洗浄液も買うことにして、3万円近くの出費になった。孫の将平を抱いたときの笑顔が目に浮かんだ。それほど高くない買い物に思えた。
 デンはいちど店へ戻って、商品を詰めた段ボール箱を持って来た。
 どんな商品でも封を切るときは、独特の高揚感があるものだ。イッキウェルは漢方薬臭が強く、苦かった。良薬口に苦しということなのか? 歯ブラシの先端は、見たことないほど大きく丸い形だった。クロスは平凡。舌苔取りがチタン製というのは、金属アレルギーにも大丈夫で、錆びなくて長持ちする。外国製の洗浄液はプールの水のような塩素系の臭いがした。ミントの香りでごまかしたものと違い、効きそうな気がした。意識の半分以上に、デンに洗脳された形跡がある。
 開封してすべてを試用していたら、10分以上もかかってしまった。これまでに味わったことの無い口内の爽快感だった。女房に感想を話したら、何十年も見せたことが無い笑顔になった。もしかしたら、オレは親しき仲の礼儀を忘れていたのか? 女房はおとなしいから、亭主の口が臭いことに、何も言えず耐えていたのか? そうだとしたら、本当に済まなかった。
 人と人の間では、目に見えることばかりでなく、互いに見えないことで何かが動き出し、独り歩きし始めて、気づかぬうちにモンスターに化けてしまうことは、往々にしてある。熟年離婚の提案を突然にされなくて良かった。口臭が引き金だったりすれば、それほど情けないことはない。
 会社でも、社員がオレの口臭を指摘する者がいなかったように、経営面での不満がうずまいているのに、自分に伝わらず、裸になっていることは無かったのか? 疑心暗鬼になり始めるときりがない。

 創業間もないころから付き合いがある未来商会を訪ねる約束の時間が来た。経営者とは、具体的な商談が無くても一定の時期を置いて会う関係だ。
 きょうは口内のケアをしっかりしたから、社長と膝を突き合わせても気分良く話せるぞ。楠木年男社長は1歳年上だが、子どもがいないので、まだ次にバトンタッチできていない。オレは会社経営の危機を何度も迎えたが、その度に楠木社長から有効なアドバイスを得られた。
 今までオレは家族をまずまず養えたし、10人の従業員に世間並みの給料を滞らず支払うことができて来た。納税の義務も果たしている。会社がトントンでやって行けているのも、楠木の陰の貢献度が高い。チビ・デブ・ハゲ加減はオレと類似しているが、頭脳の明晰度は向こうが飛び抜けて上だ。
 若いころからの経営者仲間で、飲んだ勢いで風俗店へも一緒に出掛けたほどの仲だ。双子と間違われたこともある。下請けで精密機械の部品を製造するメーカーを基に多角経営になっている未来商会は、地域で随一の業績の伸びを見せているが、社屋は古く、民家と変わらないような狭い応接室のまま改装していない。未来商会がバブル経済で消えなかったのも、楠木のそういう堅実で賢明な姿勢の賜物だといえる。

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