小説

『枯れ木の花』℃(『花咲かじいさん』)

 悔しい。今の状況で多数決なんて卑怯だ。「うっかり」を言い訳に、この枯れ木を跡形もなく消してやろうか。
 しかし、これがもし世界的名作だったら・・・・・・。
 そう考えると、実行には移せない。
 この落書き、一体いくらするんだろう。ルーヴル美術館とかに売れたら、住民税は今よりも安くなるんだろうか。
 様々な雑念に、私の清掃魂が揺らいでいると、すぐ近くでタクシーが止まった。
 一人の老紳士が降りてくる。灰色の髪、温厚そうな丸顔、仕立てのよいスーツ。やっと来たか、オカモトさん。待っていたよ、オカモトさん。
 さぁ、この絵に「駄目だな、これは」とか言っちゃってください。プロの目の正しさを、ここにいる愚かな市民どもに知らしめるのです。
 鑑定士の登場に、野次馬たちが道を開けた。
 オカモトさんは落書きを一目見るなり、
「『仮保』ですね、これは」
 即断する。
 仮保。とりあえず保存するということ。
 私はがっかりした。
 オカモトさんの指導に従い、枯れ木の絵に『仮保』の処理を施していく。これが結構面倒なのだ。四つんばいでの作業が多い。消す方が楽なのに・・・・・・。
 作業の合間に顔を上げると、桜並木が目に入った。
 ふと気づく。絵と同じポーズの木は一本もない。いくつかの木を組み合わせて、というわけでもなさそうだ。私だったら、せっかく近くに本物の木があるんだから、それを素直に丸写しするのに・・・・・・。
 でも、あの落書き爺さんは違った。
 この絵は架空の桜の木。爺さんの頭の中に生えている木。
 だったら、自分の家で紙の上に描いてろよ。そう思わずにはいられなかった。

     ◆◇

 本日の仕事始めに、公園のお散歩コースをぶらぶら巡回していると、またも地面に描かれた枯れ木の絵を発見した。
 最近は模倣犯も複数出没しているが、これは間違いなく爺さんの絵だ。さすがに上手い。模倣犯たちとは雲泥の差がある。
 でも、落書きには変わりない。
 詰所に引き返そうか迷ったものの、すでにコースを半周以上来ていたので、そのまま巡回を続けることにする。
 少し歩いた場所で、私は別の落書きを発見した。こちらも爺さんの絵のようだが、一日に二ヵ所というのは初めてだ。昨日の夕方、園内をパトロールした時には、異常はなかったのに・・・・・・。
 もしや、腕利きの模倣犯でも現れたのか。
 しかし、この憎たらしいサインには見覚えがある。念入りに踏みつけてやりたいが、それをすると保存になった時、私の手間が二つ三つ増える。オカモトさんにも怒られる。私はサインから靴一つ離れた場所で地団駄を踏んだ。
 あの爺さんのことだ。ここ二週間ほど休んでいたから、今回はいつも以上に張り切ったのだろう。どちらの落書きも消去になることを祈るばかりだ。
 と思いきや、さらに新しい落書きが私を待っていた。絵の具の感じからして、ここ数分の内に描き上げたばかりらしい。

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