小説

『月とかぐや姫』夢野寧子(『竹取物語』)

「ごめん。ちょっとむしゃくしゃしてて」
「ううん、わたしのほうこそごめん」
 謝罪しても、今度はかぐやは怒らなかった。駅までの道のりが気まずくなるのが嫌で、話題を変えようとポケットの中を探ると、苺の包み紙の飴玉が出てきた。仲直り、と言って差し出すと、かぐやは飴玉ではなくわたしの手をとって歩き始めた。
 寒空の下、触れあったかぐやの手は冷たかった。北からの風にぶるりと体を揺らして洟をすするかぐやの白い横顔の向こうに、丸い月が見えた。満月の晩に月に帰ったというかぐや姫。見上げた月が満月かどうかはわからなかった。けれど、急に鳩尾のあたりが苦しくなって思わず繋いだ手に力を込めると、かぐやは白い息を吐き出しながら、さらに強い力で握り返してくれた。
「かぐやは月に帰っちゃだめだよ」
「何それ」
「月に帰ったら、かぐや姫は地上にいた時のことなんて忘れちゃうんでしょ。そんなの寂しいもん」
 三年生になったら、こんな風に二人で過ごす時間も少なくなるだろう。かぐやは国立大志望、わたしは私立大志望だから進級すればクラスはバラバラになる。それに、かぐやの第一希望は地方の国立大だった。受験勉強が終わったところで、わたし達にはほんのわずかな時間しか残されていない。あの時のわたしは、かぐやが自分から離れていくことをただただ恐れていた。おとぎ話の姫君のように、遠くへ旅立つかぐやがわたしを忘れてしまうんじゃないかとそればかりが不安でたまらなかった。「月になんて帰らない」とかぐやに笑って否定して欲しかった。けれど、期待したような答えは返ってこなかった。かぐやは「忘れない」とも「どこにも行かない」とも言ってくれなかった。代わりに、夜空を見上げて「今日は月が真ん丸だね」と言った。
「すごく綺麗」
 月明かりと黄色い街灯が白い頬を照らしていた。ひどく切なげな顔で、丸い月を仰ぐかぐやは、本当にかぐや姫みたいに綺麗だった。湿っぽい雰囲気を拭い去ろうと、無理におどけた調子で、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話を話せば、「ツッコ物知りじゃん」と茶化す風にかぐやは笑った。いつの間にか、繋いでいた手は自然にとけていた。

 あれから季節がいくつか変わって、わたしはまたかぐやと二人きりで学校からの帰り道を歩いている。卒業式を終え、学校近くのお好み焼き屋で親しい友人達とお別れ会をした。その後カラオケに誘われたけれど、家が遠いわたしは断った。てっきりカラオケに行くものと思ったかぐやは、引っ越しの準備があるからとわたしと肩を並べて駅までの道のりを歩いている。
 最後なのだから、心に残るような話をすればいいのに、コンビニの新作スイーツの話だとか、式で校長が何回噛んだかだとか、口から出てきたのはどうでもいいことばかりだった。少しでも気を緩めれば、足が動かなくなることが予想できていた。よけいなことを考えないように、わたしは舌の上でくだらない話を転がし続けた。

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