小説

『笠地蔵(?)の恩返しっ!』城山秋月(『笠地蔵』)

 シンシンと静かに雪が降る夜のこと。山の中を流れる川の中で、一つの影が水面を見つめて唸っていた。
 四本の手足を持ったその影はパッと見ると人の形をしていたが、小麦色の髪に生えた二つの耳と、ふさふさとした毛並みのいい尻尾がその者が人間でないことを語っていた。
 この不思議な姿の人間(?)――名前は「イチ」といった。イチは人間ではなく山に住む一匹の狐だった。仲間の狐たちと比べると化け術がどうも苦手で、何かに変身するといつもこのように不自然な姿になっていた。
 化け術が下手なだけでイチはごくごく普通の狐だった。
 『狐は災厄の兆し』と忌避される時代に生まれ育った狐たちは人間を恐れ、いつしか人里から姿を消した。しかしイチには他の狐たちとは一線を画す決定的な違いがあった。――イチは人間が大好きだったのである。
 たびたび人里に下りては下手な化け術で人間を驚かせてきたイチには、人間の友達が何人かできた。時には石を投げられることや心無い人間に殺されそうになることもあったが、それでもイチは人間が好きだった。数少ない人間の友のことがとても好きで、好きで、しょっちゅう彼らに会いにいった。
 中でもイチが住む山の麓にある村に住む一人の若者とイチは仲が良かった。孝(こう)という名前だった。
 今日の昼に孝が町に買い物に出かけることを知ったイチは、帰ってくる孝を驚かせようと途中の道端にある地蔵の隣に並び、ぽんと音を立てて地蔵に化けた。
 孝からも他の人間や狐からも、「化けるのが下手」と口をそろえて言われるイチだったが、地蔵だけはどの狐よりもずば抜けて上手く化けることができた。地蔵に関しては歴代のどの狐よりも上手いといわれたイチは、わくわくしながら孝の帰りを今か今かと待っていた。
 ・・・すると、急に空の様子が変わりだし、あっという間に暗い雲に覆われた空から白い雪が降ってきた。雪は例年にない大雪のようで、イチは地蔵に化けたまま、他の地蔵たちと共にみるみる雪に覆われてしまった。頭にも肩にもかなりの雪が積もってしまい、さすがのイチでも、いくら狐とはいえ寒くて寒くて途方にくれた。
(わー・・・。これからどうしよう・・・)
 困っていると、道の向こうに待ち人の姿が見えた。孝は雪が降ると予想していたのか、しっかり笠と蓑を着込んで大きな袋を担いでやってきた。
(どうしよう・・・。驚かせようと思ったのに、これじゃ寒くて寒くて声も出ない・・・っ)
 通り過ぎていこうとした孝は、しかし、イチが化けた地蔵の前で足を止めた。そのままじぃっと地蔵を見ている。
「・・・・・・」
(何? 何っ? どうしたの孝・・・)
 はぁ、と深くため息をついた後、孝は担いでいた袋の中から、蓑をいくつか取り出した。
「本当は頼まれた買出しの品なんだがな」
 そういいながら、積もっていた雪を払って地蔵に一体一体掛けていく孝。
(やさしいんだよなぁ、孝は・・・)
 仕方がない、という顔をしつつ、実は誰よりも優しい心をもっていることをイチは知っていた。本人にいえば、「そんなことはない」といつもの飄々とした態度で肩をすくめて言うだろうが。
(表情は乏しいけど感情がないわけじゃないんだよな・・・)
 よく笑顔がない、表情がないといわれる友にしみじみとそう思う。そうこうしている内に、孝は最後の地蔵(イチ)の雪を払い落としていた。。
「風邪引くなよ」
 地蔵相手にそんなことを言いながら孝は蓑を掛け、自然な流れで被っていた笠の紐を解いて、イチの頭に乗せた。
(え?)
「じゃあな」
 孝は一言告げると踵を返して、雪深い道をさっさと歩いて行ってしまった。残されたイチは内心ぽかんとして地蔵に化けていた。

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