小説

『お留守番』大場鳩太郎(『オオカミと七匹の子ヤギ』)

 僕のうちはボシカテイというやつだった。
 別に同情はいらない。
 お父さんがいないのは僕にとって当たり前のことで、困っていることなんて全くないのだ。
 なにより僕は、一人っ子だけれど一人ぼっちではないと思っている。言うことを聴かないで遊んでいると怒ってくれる、お給料が入ると好きなゲームソフトを買ってくれる優しいお母さんがいる。料理が下手でいまだにハンバーグを作るとよく焦がすし、だいたい御飯をスーパーのできあいのものですまそうとするのが珠に傷だけど、お母さんがいてくれるので少しも寂しくはなかった。
 唯一、留守番をしている間を除いて。

 夕方、帰宅するといつものようにちゃぶ台には書置きがあった。「今日はいつもの時間に帰れると思います。よろしくお願いします。まとい」と書かれている。
 お母さんは今仕事に行っている
 僕が登校するよりもすこしだけ遅くに出勤して、残業がなければ夜の八時ごろに帰宅してくる。
 だからそれまでの間、僕は留守番をしていなければいけなかった。
 僕はこの時間があまり好きではなかった。周りに誰もいないのはとても心細かった。
 無駄な抵抗だと知りつつももう少しだけテレビの音量を上げてみる。画面の中ではしゃぎ回っているアニメのキャラが頑張って活気のある雰囲気をつくろうとしていたけれど、そらぞらしく感じてしまう。
 ひとまず家の用事を済ませてしまうことにした。常になにかをして、手や身体を動かしていれば余計なことを考えずにすむのだ。
 家事はお母さんと分担でやっていて、僕には夕方にやるべきことがいくつかあった。
 まずは流しにいって溜まっている昨夜と今朝のぶんの食器を洗う。濡らしたスポンジにちょっとだけ洗剤をつけ泡を立てる、パンくずのついた平たい皿をこする。
 他には基本的に皿洗いとベランダの洗濯物をとりこんで、お風呂を沸かしたりもする。
 洗い物があらかた終わり、排水溝のストッパーに溜まった生ごみを捨てようとしていると——。

 ピンポーン。
 
 誰だろう。
 僕は一旦作業をやめ、洗った手をズボンのおしりで拭いた。
 居間でひとり騒いでいるテレビを見る。画面の左上に表示されている時刻は「6:45」だった。まだ早いのでお母さんではないだろう。
 玄関に行き、爪先を思いっきり伸ばす。取りつけられたチャイムの装置の隣にある覗き穴に片目をぴったりとつけて覗き込んだ。
 しかし何も映っていなかった。
 全体的に黒く暗くなっており、外の様子も見えなくなっていた。
 向こう側にいる人が寄りかかって腕を置くか、近づき過ぎるかしてレンズを遮っているようだ。
 僕はすこし迷ってから観念して、誰なのか尋ねる事にした。
「あの、すいません。どなたでしょうか?」
 僕はできるだけ礼儀正しく尋ねる。
 見ず知らずの人や目上の人へは特に失礼のないように接しなければいけないのだ、とも教えられていた。
 するとお腹をくっつけている金属製のドアの向こうから、くぐもった太い声が響いてきた。
「お母さんだよ」
 一瞬、意味がわからなかった。
 今聞こえた声は男のようにも老婆のようにも聴こえるはっきりとしないものだった。けれどお母さんのものとは明らかに違っていた。
「えっと……どなたですか?」
「お母さんだよ」
 抑揚のない声がもう一度、ドアを伝いお腹に響いてくる。
 聴き間違いではないようだった。
「……」
 気味が悪い。
 何かの悪戯だろうか。

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