小説

『カメはウサギを追いかける』橋本成亮(『ウサギとカメ』)

「決勝での俺の順位、最下位だぜ。悔しかったさ。こんなに速いやつがいるんだって思った」
 洋が最下位だったとは初耳だった。全中決勝まで進んだってだけで凄いことだし、わざわざ最下位ってことを広げる人はいないだろう。
 とはいえ、それは俺とは別世界での話だ。選ばれた者の中での争いだ。
「こいつらには勝てないと思った。それでも、俺は諦められなかった。あいつらに勝ちたい。でも、勝てない苦しい思いもしたくない。それなら、家が近くて陸上も弱くはない鶴峰に入れば良い、って。うちなら、陸上部は弱くないからそれなりの練習はできる。でも、公立だし強豪に比べて設備がいいわけでもない。勝てなかった時の言い訳を用意できる」
 言葉を一気に言いきった後、洋は薄っぺらく笑った。目は本気のままだけど、いつもの洋らしくない、乾いた笑いだった。
「弱かったんだよ、俺。言い訳が欲しかった。勝てなくても仕方ない、公立のくせに頑張ってるな、って。勝てなくても俺のせいじゃない、環境が違うって自分に言い聞かせられると思った。限界まで挑戦しても勝てないのが怖かったんだ」
「じゃあなんで、俺に説教するんだよ。お前だって勝てないと思ってうちに来たんだろ」
 同じ穴の狢じゃないか、とはさすがに言えなかった。
「お前だよ」
 洋はきっぱり言い切った。
「お前が俺を追いかけてくるから、俺も諦められなくなったんだよ」
 俺? どういうことだ。
「柾と初めて一緒に走った時にさ、最初は大したことないなって思ったよ。成迫さんとか佐脇さんの方が速いのは速いし」
 そうさ、俺より速い人なんてザラにいる。
「でも、柾は走ることに誰よりも正面から向き合っていた。走ることが好きだから勝つことを諦められない。だから、走ってる。競技者としての一番を目指して、練習をしている。違うか?」
 なんで洋はそんなに俺の気持ちを当てられるんだろう。一番になりたいなんて、洋の背中を追いかけて走っていたなんて、誰にも話したことは無い。
「俺も同じだ、一番になりたくて走っていたけど、諦めそうになった。でも、お前を見ているうちに、苦しいのは俺だけじゃないって思えたんだ。勝ちたいから練習をする、誰よりも速くなりたいと思う。俺もお前も同じさ」
 そんなのは才能があるお前だから同じだと思えるんだよ、頭の中にそう浮かんできても、口にすることはできなかった。
 洋に勝ちたい。勝てない。
 俺がそんな気持ちを抱いたように、洋も他のやつに同じような感情を抱いていた。それを否定することは、俺にはできない。俺だって、洋に勝てない悔しさを誰かに否定されたくない。
 上には上がいる。俺にとっての一番が洋であっただけで、洋にとっての一番は他にいるんだ。それが高い次元での争いだから、俺が知ることができなかっただけで。
「勝ちたいって気持ちがないと、お前みたいに練習はできない。一緒に走ると分かる。柾と走って、俺はまた勝つために全力で取り組めるようになったんだ。言い訳はしない。鶴峰で練習して、速くなってみせる。だから、そんなこと言うなよ。俺に勝つって言ってみせろよ。一番速くなるって言ってみせろよ。練習している自分の気持ちをごまかすなよ、勝つって信じろよ」
 洋は陸上に関しては本気だ。常に本音でしか話さない。
 だから、きっと全て本当のことだ。勝てないと思って諦めたことも、俺を見て再び競技者として本気で取り組むように思えたっていうのも、たぶん。
 俺にとっての絶望は、そんな言葉を漏らした。

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