小説

『いそうろう』冨田礼子(『一寸法師』)

 「ずうっとここにいていいよ」
 「え、ペットみたいに?」
 「ペット?ちょっと違うでしょ。同居人?まあ、やっぱりいそうろうか」
 「ここはたしかに居心地はいいよ。でも、いつまでもこのままは続かないでしょ」
 タロウさんはやけに静かな声でそう言って食べ続けた。
 「そういえば、今日は本当にいいお天気だったから、中に入れていったけど、洗濯物いいとこ乾いてよかったな」
 「あ、そうだね。部屋の中にいつまでも干してあるとうっとうしいもんね」。
 「でも、まぁ、まだ日がかげってもしばらくは外干しておけるほど暖かくはないな」
 「え、こだわる人なの?そういうこと」
 「気にしてるだろ。夕方四時すぎたら湿度が上がるんだって、電話で話していたことあったよな」
 「えー、いつのことだろ、それ。と言うか、ねぇ、いつからいるの?」
 「おれが居心地よくいそうろうしてられるってわかるくらいさ。それより、この辺最近カラス増えた気がするよな。おれ狙われているのかな」
 「増えたかも。狙われてるの?ベランダにこないといいなあ。ねえ?カラスと闘いたくないよ。でしょ」
 「カラスも追い払えないし、洗濯物も取り込んでやれないし、こうも世話やかれると、ますます本当に弱い立場の役立たずって気がしてくるよ」
 私がワインをつぎ足してあげたのを、ちょっと情けなさそうに受けながらタロウさんは言ったのだった。
他愛のない話をしているうちに食事は終わり、私が片付けているうちに「おやすみ」のささやきを残して彼は自分のねぐらへ引き上げたようだった。

 しばらくそんな日々が続いた。「いってきます」と大きな声で言って、待っている人がいる部屋へ帰る。ただそれだけで、毎日嬉しかった。いろいろタロウさん用のものも増えた。リクエストで、タロウさんが上手にのんびりつかれるように湯船もみつけた。この部屋のレバー型の蛇口はうまいこと一人で操作できるのだ。それもここが彼にとって居心地のいい理由の一つかもしれない。してあげるばかりだし、ままごとのようだけれど、私はこのままでいいから、ずっと彼と一緒にいたいと思うようになっていた。
 ある日曜日の夕方だった。昨夜からの春の嵐が通り過ぎ、外は穏やかに晴れてきていた。
タロウさんはしばらく前から窓越しに外をながめていたが、いきなり言った。
「おれ、ちょっと出てくるわ」
 どこに持っていたのか、ひょいっと投げ縄をサッシの錠にひっかけて器用に窓を開け、するっとベランダへ出て、こちらへ手を振ると、あっというまに行ってしまった。「いつ帰ってくるの?」と聞く間もなかった。そして、それきり帰ってこなかった。

 何日も、何日も、今日は帰っているだろうかと、扉を開けた。けれど「ただいま」の声はむなしく部屋に響き、彼が戻ってきていることはなかった。

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