小説

『カウンツ』こがめみく(『番町皿屋敷』)

 職場の中古レコード専門店に、レコードを数える店長の霊が出る。大量の在庫が収納された奥の部屋から、夜な夜なレコード番号を唱え続ける男の声が聞こえるのだ。声はいつも同じところで途絶え、一瞬の沈黙の後に慟哭が響く。一枚足りない、と。

 店長は死んでいない。あの声は、彼のいわゆる生霊というやつだと思われる。本人による情感豊かな在庫チェックである可能性が何故否定されるのか、説明せねばなるまい。店長の青山菊太郎と私以外に人のいないこの店に、私の解釈披露の場も注釈を加える相手もないことは、この際置いておくことにしよう。
 古来より、皿を数えるのは幽霊と相場が決まっている。しかしそれは単なる後付けにすぎず、私があれを生霊と考える真の理由は、キクさん(私は青山菊太郎をそう呼んでいる)本人とあの声とのあまりに大きな性質の乖離にあった。
「誉ちゃん」
 キクさんが私の名を呼んだ。
 耳をすませば、キクさんの声と真夜中の慟哭とが明らかに同一の器官から発せられたものだと分かる。
 常時緩やかにカーブする彼の口元が紡いだ柔らかな声と、夜な夜な店内に轟く喉をひねり潰したような叫び。それらが一人の人間のなかに共存するようなことは、超自然的な現象、霊的なものの力に依ることなしには、おそらくかなわないはずである。
「はい」
 私はキクさんに返事をした。
「この間探してたやつ、手に入りそうなんだ」
「見つかったんですか」
 キクさんが頷く。
 先日私は、キクさんが前々から目をつけていたレアモノの中古レコードを探すのに付き合った。こんなことは今まで幾度となくあったし、負担でもなんでもないのだが、キクさんは毎度のように謝罪と感謝の言葉を述べる。
「いつも付き合わせちゃってごめんね。ほんとにありがとう」
「いえ。……お好みのものはすべて揃えられそうですか」
私がそう返すと、キクさんはふと目線を落として小さく呟いた。
「どうだろうね。ずっと一つだけ揃わないままのシリーズなんかもあるからなあ」
まだまだ集めないと、とキクさんが続ける。人に聞かせることを前提としていない声の響きだった。何か見てはいけないものを見たような気になって、どきりとする。私は昨夜の生霊の慟哭を思い出した。
 キクさんはこのレコード店の責任者であると同時に、極度のレコードマニアでもある。いつもは天使の微笑みを決して絶やすことのないキクさん。だが、時折見せるコレクターとしてのキクさんの目は、尽きることのないレコードへの執着心に取り憑かれた、まるで堕天使のそれだった。あの目が一瞬映しだす、禍々しい色をした救いようのない何か――それが肥大したものが、あの毎夜の不気味な声なのではないか。私はそう考えているのだ。

「でも、今回は本当に誉ちゃんのおかげだよ」
 キクさんの言葉で会話に引き戻される。
「レコードの知識では誉ちゃんにかなわないからね。だめだな、僕なんか店までやってるのにさ」
 よっぽどレコードが好きなんだね、とキクさんが続けた。
 私は音をたてずに息を吐いた。このやりとりをもう何度繰り返しただろう。さすがに数えるのも億劫だ。毎度同じ会話を重ねるなかで、私は決して相手に覚られることのないため息のつき方を体得していた。
 キクさんの言葉に短く応答する。
「そうでもないですよ」

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