小説

『ろうそく心中』木江恭(『赤い蝋燭と人魚』小川未明)

 おれが育ったのは、海辺の小さな漁師村よ。目の前には海、背中には山、ほかには何にもねえ、貧しい村だった。おれはよそ者の孤児だったが、七つかそこらの時分に、ろうそく屋の老夫婦に拾われた。
 村には、海の神を祀る古い祠があった。おれを育ててくれた爺様と婆様は、その祠に供えるろうそくを売っておったのよ。そのろうそくは、白い下地に赤い筆で、魚やら貝やらの、美しい絵が描かれていた。これが大した評判で、わざわざ隣村やその向こうから買いにくる者もおったほどだった。しかも見た目に美しいだけではない。客のあいだでは、そのろうそくには不思議な力があり、これを祠にお供えすれば、決して嵐に遭わんと言われておった。さて、それが真であったかどうかは、おれの知るところではないよ。
 そのろうそくを描いておったのは、爺様と婆様の娘であった。実の子ではなく、おれと同じように拾われた身であったのだが、これが、普通の娘ではなかった。
 娘には足がなくてな、代わりに、虹色の鱗がきらきら光る、魚の尾があった。
 ほっほ、だから初めに聞いたろう。人魚を信じるか、とな。実のところ、この目で見ておらねば、おれも信じなかったかもしれん。初めて顔を合わせた時、はとっくに年頃の娘の姿をしていたが、餓鬼のおれを怖がって震えておった。顔も体も青白く、向こうが透けて見えそうだったよ。それから何年も経ち、おれの背が伸びて、爺様の背丈を追い越しても、人魚の見かけは少しも変わらなんだ。あとから聞いた話では、人魚は数百年も生きるというから、なかなか歳をとらんのであろうな。見た目の歳が出会った時とあべこべになると、はおれのことをにいやと呼び始め、おれもを妹と思うようになった。
 は、内気なで、日がな一日、家に閉じこもっておった。人と違う姿かたちを、ひどく恥じていたのだ。代わりに、朝から晩まで、ろうそくに絵を描き続けた。これが唯一己にできる孝行だからと、血豆が潰れるまで筆を握り続けた。ろうそくは描けば描くだけ売れたから、爺様と婆様は娘の孝行を喜んだが、おれはどうにも見かねてな。幾度も筆を取り上げては、返してくれと泣かれたよ。
 そういう時は、を外に連れ出して機嫌を取った。夜も更けて、誰ひとり出歩かない刻限を見計らって、おれが海まで抱いて行くのよ。の肌は、魚と同じでひんやりとしていた。人が直に触れてしまうと、そこが真っ赤に腫れ、ひどい時には火傷になった。人の体は、人魚の肌には熱すぎたのだろうなあ。だから連れ出す時はいつも、冷たい木綿の着物を被せていた。は、おれの着物の裾を掴んで、じっと息を殺しておったよ。暗い海の泡立つ波や、遠くに霞む空との境界を眺め、地鳴りのような絶え間ない波音を聞いておった。だが、海に入りたいとは、ついに一度も言わなんだ。
 何もない日々であった。朝目覚めて、ろうそくを売り、店を閉め、夜は眠る、その繰り返しだった。しかしな、今思うに、きっとおれは幸せだったのだろうよ。爺様がいて、婆様がいて、妹がおった。それだけでよかったのになあ。
 きっかけは、婆様が表で転んで、寝付いてしまったことであった。大した怪我ではなかったのだが、しばらく寝て過ごすうちに足腰が弱って、婆様は歩けんようになってしまったのだ。婆様はすっかり気を腐らせて、朝から晩までぶつぶつと小言を言うようになった。が飯椀を差し出すなり、手で払いのけてひっくり返すこともあった。無論、店のことも奥向きのことも出来なくなって、おれと爺様で全てをやらねばならんかった。普通ならば娘がするものだろうが、には足がないのだから任せられん。はそのことをずいぶんと気に病んだ。代わりに、婆様のことは自分が見ると言って、婆様に叩かれても引っかかれても、弱音も吐かずに耐えておった。
 そうやって日が経つうちに、今度は爺様が呆けてしまった。婆様がああなって、気落ちしたのだろうな。物忘れをするようになり、急に辻褄の合わんことを言い出して声を荒げた。店の客にも愛想がなくなり、勘定が済んでいないと言い張って客を盗人扱いした。時にはおれの顔すら忘れてしまって、おれをよそ者呼ばわりして殴る日もあれば、下の世話を手伝う途中で、糞尿を投げつけてくる日もあった。
 店は、すっかり駄目になった。客はみんな、よそに新しく出来たろうそく屋で買うようになってしまってなあ。ろうそくは売れなくなり、おれたちは、その日食うものにも苦労するようになった。爺様と婆様は、おれと妹が食べ物を隠しているのだと思い込んで、ますますおれたちを責めた。

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