小説

『檸檬を持って大海原へ』薮竹小径(『檸檬』梶井基次郎)

 なんとなく交わしたことのある会話のように思うけど、全く思い出せない。そんな大昔のことなんて。
 鞄を覗き込みと、檸檬がわんさか入っている。目を閉じると一つ一つがポップコーンのように爆発シーンが浮かぶ。
これじゃあ、せいぜい目が沁みるくらいだ、と思う。
 「じゃ、私は行かないと」ぼうっとレモンを眺めていたら女子大生は言った。
 え、と聞き返してしまう。
 「授業に行くんですよ」ほら、と彼女が指差した方を見ると続々と人が扉を開けて入ってくる。女子大生はその群れに真っ向から歩き出した。その背中を見つめる。
 そうだよなあ、こんなものじゃ、せいぜい目が沁みるくらいだ、ふたたび思う。
 ――徒労。おれ達みんな骨折り損。でも、どのくらい死ぬまで時間があるんだろうか。ふっと、入り口を見ると、女子大生が群れを真っ二つに進みながら去って行く。
 モーゼだ。きっとあれが本物のモーゼだ。
ぼくは黄色い不発弾をひとつ取り、「徒労、徒労」と叫びながらも、走り抜ける覚悟を決めた。

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