小説

『子供心』伊藤円(『浦島太郎』)

「それってさ、まるでこれだよ」
「……ウラシマタロウ」
「知ってるでしょ?」
「うん。亀を助けただけでいい思いする、でも実はつつもたせ? だった話」
「ちょ。何、父さんが吹き込んだの? 違う違う、助けた亀さんに、お礼、に竜宮城に招待されて、玉手箱、でおじいさんになっちゃう。でもそれ、いつまでも時間を忘れて遊んでた代償で……じゃなくて、今は太郎の話。ほら、今日は、『太郎』が、『亀田くん』を助けて、お城、とまではいかなくても、『お家』に招待されたんでしょ。で、歓迎のパーティ。これはもう浦島太郎だよねって。で、土産に古いゲーム……そっか、浦島太郎は実は、玉手箱じゃなくて、こんな昔ながらの何かを貰って、郷愁、みたいな、懐古、みたいなそういう気分になって、『おじいさんになった』なんて言ったんだな。贅沢しっぱなしじゃあ不評をかうもんねぇ、誰かに」
 母は半ば興奮しながら、一人ごとのように言った。当然か、太郎はそれを理解できなかったが、かろうじて母が自分に浦島太郎を重ねて話したことは解った。とはいえ、それが正しいのかは些か疑問だった。惹起された浦島太郎の物語には、かつて父が言ったように亀を助けただけでお城に招待されるなんて信じがたかったし、事実、つん、と頭を刺すような亀田の家の光景はお城とは程遠かった。沈んだ畳、薄い麦茶、漬物の匂い、ありあまる視線、殺された、カブトムシ……。仔細に思い出して、太郎は辟易とした。自分は嘘でも浦島太郎とはいえない、それを明かしてやろう、と思ったが、
「ほら、ほら、どんな歓迎をされたのかさ、くわしく教えてよ!」
 依然興奮した調子の母に、説明する気力も失せてしまった。そっ、と顔を逸らし、ふと、壁に立て掛けてある全身鏡の自分と目が合って、
――そうか。
太郎は、解った気がした。ただの亀に竜宮城に連れられ、歓迎されたのに、おじいさんに変化する箱を渡されたという謎の昔話。その由来を知った気がした。つん、と母が肩を突っついた。ゆっくり、顔を上げて、太郎は、
「浦島太郎も、ずいぶんいい思いをしたんだろうね……」
 ぼそっ、と呟いた。ちらっ、と横目で見た鏡の中、やはり、太郎はまるで老人のようにくたびれた顔をしているのだった。

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