小説

『忘れな草の物語』新生実(『忘れな草の語源にまつわる伝説』)

 朝起きると僕は枕を抱えていた。それも枕は紐で体に縛り付けてある。紐を解いて枕をはずすと、パジャマの中に何か入っていることに気づいた。取り出してみるとそれは小さなノートとペンで、首から紐で吊るされていた。
 僕はノートを開き、書いてあることを一つずつ読んでいった。朝、僕を迎えに来る女の子がルリであること。僕とルリが遊んだこと。ルリが僕に色々なことを教えてくれたことが丁寧に書かれていた。そして最後にこう書いてあった。
 (母さんが僕の大切なノートを取ろうとした。)
 その日から僕は、ノートをけして離さないことにした。昼はノートをシャツの中に隠した。シャワーを浴びるときはビール袋に入れて濡れないようにした。夜はパジャマの中に入れ、枕を体に縛り付けて眠った。朝起きるとパジャマの中のノートを見つけ、全てを読む。そして全てを知る。

 僕はベンチに座り、ルリがやって来るのを待った。木戸が開き女の子が入ってきた。
 ――あの子がルリだ――
「タナ、迎えにきたわ。今日はどこに行って遊ぶ?」
「だめよ、タナ」母さんが大声を上げた。
「ルリ、タナはもうあなたと遊ばないの、帰ってちょうだい」
「でも……」
「帰ってちょうだい」
 ルリは黙って自分の足元を見ていたが、やがて踵を返して木戸から出て行ってしまった。母さんがどうしてあんなことを言ったのか、僕は知っていた。

 (母さんが、ルリを追い返した。)

   *

 朝起きると僕はノートを見つけた。最後のページにはこう書かれていた。
 (母さんが、ルリを追い返した。)
 (母さんが、ルリを追い返した。)
 (母さんが、ルリを追い返した。)

 ――今日もルリは来るだろう。そしてまた母さんに追い返される。僕はどうしたらいいんだ――
 僕はベンチに座り、ルリがやって来るのを待った。ノートに書いてあるとおりなら、もうすぐルリが来るはずだ。太陽が高く登るまで待ったが、とうとうルリは来なかった。
 (ルリは来なかった。)
 (ルリは来なかった。)
 (ルリは来なかった。)

 ――ルリは来ない――
 僕は部屋に鍵をかけ、一日中部屋で過ごすようになった。そうしないと母さんがいつノートを取りにくるかわからない。
 ノートにはルリと会う方法が幾つも幾つも書かれていた。どうやって母さんに見つからずに家を出るか。家を出られたなら、どこへ行ってルリを探すのか。顔を知らないルリをどうやって見つけるか。でもそのあとには必ずこう書いてあった。
 (だめだ、これではルリに会えない)
 僕は毎日、毎日考え続けた。そうしているうち少しずつではあるが、ノートの中にルリと会う方法ができあがっていった。

   *

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