小説

『忘れな草の物語』新生実(『忘れな草の語源にまつわる伝説』)

 僕がベンチに座っていると、木戸が開いて知らない女の子が入ってきた。
「誰」
「ルリよ。やっぱり忘れちゃったのね……」
 ――忘れた?――
「でも、もう大丈夫よ。私とってもいいことを思い付いたの」女の子はコロコロと笑い声をあげ、ポシェットから何かを取り出すと僕の首に掛けた。それは紐の付いた小さなノートとペンだった。
 ノートの表紙にはこう書いてあった。
 (毎朝このノートを読んで)
 (覚えたことを全部このノートに書いて)
「これ、何」
「タナが覚えたことを忘れないように……こうすれば明日になっても、私のこと忘れないでしょ。だから最初のページに私のことを書いて」
 その子は顔をほころばせ、そして期待を持って見つめている。よくわからないが、その子の目があまりに真剣なので言われたとおりにした。
 (朝、ルリという子がやって来た。)
 (ルリは僕が覚えたことを全部ノートに書いてと言う。これを書いているのはそのためだ。)
「じゃあ木イチゴを取りに行きましょう。それでお母さんにパイを作ってもらうの」
「ルリの家へ行くの……いってらっしゃい」母さんが手を振った。

   *

 朝、目を覚ますと小さなノートとペンが紐で首に掛っていた。
「何だ、これ」
 ノートの表紙にはこう書いてあった。
 (毎朝このノートを読んで)
 (覚えたことを全部このノートに書いて)
 ノートを開いてみるとこんなことが書かれていた。
 (朝、ルリという子がやって来た。)
 (ルリは僕が覚えたことを全部ノートに書いてと言う。これを書いているのはそのためだ。)
 (ルリは木イチゴの沢山なる秘密の場所を教えてくれた。摘んで食べてみると甘酸っぱくて、少し土の匂いがした。)

 僕がベンチに座っていると、木戸が開いて、知らない女の子が入ってきた。
「キミは誰?」
「ルリよ」
 女の子の答えに僕は驚いた。首から下がっているノートに、ルリの来ることが書いてあったからだ。
 ――なぜこれから起こることがわかるんだ――

   *

 朝、目を覚ますと小さなノートとペンが紐で首に掛っていた。
「何だ、これ」
 ノートをめくってゆくと、こんなことが書かれていた。
 (このノートには、これから起こるとこが書いてある。)

 僕がベンチに座っていると、木戸から女の子が入ってきた。
「もしかしたら、キミはルリ?」
「そうよ、私はルリよ。私のことがわかったのね」
 ルリは跳んできて僕の手を両手で握り、僕がベンチから転げ落ちそうになるほど跳びはねた。
 ――ノートに書いてあるとおりだ。こんなことがあるなんて、まるで魔法じゃないか――
 「タナのお母さん、すごいのよ。タナに私のことがわかったの」ルリは大きな声をあげ、洗濯物を干していた母さんに手を振った。
「このノートに書いてあったんだ」僕は母さんに見えるよう、ノートを高くさし上げた。
「そのノート、ルリが作ってくれたの?」
「うん、こうすればタナが私のことを覚えてくれると思ったの」
「ありがとう、ルリ」

 (今朝、僕を呼びに来た女の子に「キミはルリ?」と聞いてみた。するとルリよと答えた。そのときのルリの喜びようは大変なものだった。)

   *

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