小説

『HANA』結城紫雄(『鼻』 芥川龍之介)

「まさかハナとリツのせいで授業中断しちゃうなんてね」とキョウコ。こいつは溺れて失神したリツを写メっていた。彼氏とそれを見ながら大いに盛り上がるがよい。
「あたしなんてハナに突き落されて溺れ死にかけたんですけど」つくづくリツは大袈裟だと思う。口から泡吹いたぐらいで。
 レポートを書き終え、保健室で息を吹き返したリツ、教室の隅で「コーラを使用した避妊の成功率」について熱心に議論していたヒカリ(ペプシ派)とキョウコ(ダイエットコーラ派)たちと下校する。九月も終わりに近づき、プールの授業が不本意な最終回を迎え、風も大分冷たくなった。
「そういえばハナ、もうすぐ誕生日じゃん」
 夏生まれのリツ、ヒカリの誕生日はみんなでお祝いをしてプレゼントを贈った。キョウコは彼氏持ちなので他人の誕生日会は参加するが、彼女自身の誕生日に私たちは何も贈らない、というのが一応のルールである。
「何ほしい? 彼氏? 寒い時期の独り身はつらいですからねえ」とおどけるキョウコをリツが睨む。
 そうなのだ。私は十月に生まれた。紅葉が綺麗だったので、母は初め「紅綿子」と名づけようとした、という微笑ましい、もといトチ狂ったエピソードは高一だった私を凍りつかせた。何を隠そう、読みは「もみこ」である。トリプルAカップで名前がもみこちゃん、どう好意的に解釈してもギャグとしか思えない。しかし名は体を表す、という諺も確かに存在するな、と一時期考えたのだが、思えば改名して成功した有名人など一向に思い当たらないので、結局私の名は「ハナ」のままである。
「貧乳を馬鹿にされて友達を失神させたって、もうC組でも噂してたよ」ああ、また私の貧乳が知れ渡るのか。頭が痛い。心はもっと痛い。
「ハナ、おっぱい大きくする薬あげようか?」
 私はヒカリの頭を思いっきりはたいた。

「はい、おっぱいを大きくする薬だよー」
 私の十七歳の誕生日。いつものカラオケボックスでリツが差し出したのは、一粒の白く小さな錠剤であった。表面に「D」と印刷してある。
「なにこれ。ビレバンとかで『恋に効くクスリ』とかの横に売ってるやつ?」私はあきれた。「○○に効くクスリ」は以前流行した、雑貨屋などに置いてあるただの飴である。要は単なるおまじないだ。
「違うよ、マジに効くんだってば」
 隣のキョウコ、ヒカリの目も珍しく真剣だ。茶化しているようには思えないが、飴じゃないとしたら、麻薬とか、合法ドラッグとか、脱法ハーブの類だろうか。何より、あれだけ豊胸のためのサプリを試した私が初めて目にする薬なのだ。明らかに危険な香りがする。やはりただのジョーク・アイテムの仲間なのだろう。
「あーあ。リツの誕生日にはみんなでサマンサのピアスあげたのになー。私には飴玉かあ」
 だから違うんだってば、と言うリツの話によるとこうである。彼女の大学生になる姉が、夏休みに治験のアルバイトにいった。治験とは未だ認可されていない薬を被験者に飲ませ、その後の検査で効果を見るというものだ。十日前後の検査で、報酬(正確には謝礼という。治験はあくまでボランティアであり給料は発生しない)は数十万という場合もある。しかし副作用が出たとしても自己責任だというから、要は公認の人体実験だ。
「一週間も泊まらされたあげく、煙草も酒も禁止なんだってさ」
「うわーダルい」ダルいもなにも、私たちは未成年である。
 リツの姉が試すことになったのは、新しい導眠薬の実験だったらしい。一回三錠を一日二回。確かに眠たくはなったらしいが、そんなことよりも副作用が問題だった。Bカップだった胸が、二日目午前の時点でDカップになってしまったのだ。それに驚き、体への悪影響を怖れた医師が以後の服用を禁じた。薬の配布は一日一回なので、彼女は午後の分の薬も持っていたが、医師に服用を止められたためちゃっかり持ち帰ったらしい。
 その薬こそが、今リツが手にしている錠剤なのだ。彼女の話を聞いたリツたち三人が、キルフェボンのケーキ一ホールと引き換えに手に入れたのだという。
「なるほど」
 私は頷いた。治験段階でしか知られていない未承認薬。私が知らないのも無理はない。気になるのが副作用だ。説明によると豊胸効果そのものが副作用みたいなものだが。
「副作用は、今のところナシ」私の懸念を見透かしたかのように、リツが言った。

1 2 3 4 5 6