小説

『HANA』結城紫雄(『鼻』 芥川龍之介)

 むしろこういった話題よりも、単刀直入に私の貧乳を笑い飛ばしてくれたほうが幾分マシと言えよう。しかし中には、私の胸を真剣に心配しやがる輩もいる。「小さな親切、大きなお世話」がこいつらのモットーに違いない。
 ある日の昼休み、学食のサラダを食べながらヒカリ(そういう輩A)がニヤニヤしながら口を開いた。
「あたし『アンアン』で読んだんだけどさー、キャベツって胸おっきくする効果があるらしいよ?」
「えー知らない。聞いたことないってゆーか興味ない」まさかもう実験済み、そして効果の有無も実証済みとは乳が裂けても言えまい。
「健康にもよさそーじゃん。試してみなよー」
「いいよ私別に。気にしてないし、巨乳になったら可愛い服とか着られないじゃん」ね、とニコリ。不自然じゃない、上出来。
「あたしも聞いたことあるそれ」キョウコ(輩B)が焼きそばパンを頬ばりながら喋る。食べながら話すな。というか、胸について話すな。
「たしかねー、『デロン』て成分が胸に効くんだって。いかにも大きくなりそうな名前じゃね? デロン、デローンって」
「ちょ、なにそれウケる。頑張れー、あたしのデロンー」
 でろーん、でろーん、とヒカリとキョウコが互いの胸に手をあててはしゃいでいるのを見て、私は深くため息をついた。彼女たちのような半端な知識のひけらかしが一番頭にくる。
「それ言うなら『ボロン』でしょ! 何よ、デロンデロンて、馬鹿みたい」
 一瞬黙った後、二人は同時に口を開いた。
「ハナ、めっちゃ詳しいじゃん」
 私はひどく赤面した。

 別に胸が小さくても構わないのである。顔はまあまあイケてるし、そこそこモテるし、勉強だって学校では中の上の成績だ。胸の小ささが私を悩ませているわけでは断じてない。私は実にこの胸によって傷つけられる自尊心のために苦しんでいるのである。しかし私の、いや私に限らず年頃の乙女一般の自尊心は「顔や彼氏がどーのこーの」というような結果的な事実に左右されるためには、あんまりにもデリケイトかつプラトニックはたまたセンシティヴに出来ていたのである。
 もちろん、胸を大きくする方法があると聞けば、積極的に実践した。豆乳、リンゴ、そしてキャベツ。サプリメントや雑誌の巻末に載っている怪しげな薬に器具、マッサージ、スピリチュアル療法、おまじない、自己暗示、祈祷、エトセトラ、エトセトラ。しかし満足いくほどの効果が出たことは一度もない。
 ならばと、巨乳アイドルがもてはやされる日本を捨てて、貧乳がもてはやされる社会をこの地球上に求めたことがある。そんな乳楽園(ニュートピア)は意外にも簡単に見つかった。EUの雄、フランス共和国である。なんでもこの国の民衆には、「巨乳は頭が悪そう」という考えから貧乳が非常に好まれるらしい。偉大な仏人哲学者の「胸は小さいほうが良いように思える。なぜなら、触れたとき心に近いからだ」という格言は私を歓喜させた(急いでスマホにメモった)。しかしよくよく調べてみると、フランスにおける貧乳ブームは一七〇〇年代のことらしい。私は唸った。せめて三十年周期ぐらいでブームが来てくれないと困る。
 自分の胸を気にしていると、他人の胸も当然気になるもので、学校にいるとついつい友人の胸に目がいく。水泳の授業中では自分より小さい胸を持つものはいないかと目を皿のようにしているのだが、いまだ我が校には見当たらない。それどころか、同じような胸をした生徒がすれ違いざまに「あんたには勝った」という目をするのが頭にきて仕方がない。しかも本当に負けているからやるせないのである。
 加えてDカップを自称するリツが「あたし最近しぼんじゃってー」などと抜かしていたのを聞いたときには思わず耳を疑った。
「あんたねー、そんな胸あるのに贅沢だよ」
「なんかダイエットしたら胸だけ肉落ちちゃってさー」
「Dカップです、なんて私にとっちゃ『私の戦闘力は五十三万です』、て言われた気分だわ」
「じゃあハナは戦闘力二か……ゴミめ!」
 その日の放課後、私は「スポーツを通じていかにして青少年の剛健なる魂を育成し健全な社会を形成するか」という題で二千字の反省レポートを書くよう、体育教師に命じられた。カナヅチのリツをプールに突き落した件で。

「最後のプール楽しみにしてたのにー」
 ヒカリがアイスを舐めながら私をニラむ。だからあんたらにお詫びのアイスを奢っているではないか。

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