小説

『北風と太陽 』実川栄一郎(『北風と太陽』)

すると、それまでほかの客の相手をしていたママが、並んで座っている私たちの方へやってきて、カウンターの中から話しかけた。
「3人ともいつも仲がよくて、いいわね」
ママは、まるで自分の息子たちでも眺めるような目で言った。
「ママ、俺たち今度3人で旅行に行くんだけど、よかったら君も一緒にどうだい?」
 牧田が母親に言うような口調で誘うと、ママは笑いながら言った。
「それ、いいわね……。でもね、私、あなたたちを見ていると、あんまり仲がいいから、妬けてきちゃうのよね。だから、せっかく一緒に旅行に行ったって、あなたたちにヤキモチ妬いていたんじゃ、おもしろくないから、やっぱりやめておくわ」
 このママは、じつに不思議な女だ。まだ若いのに、妙に悟ったようなところがある。幼さの残る顔立ちと、強い母性を感じさせる物言いとのアンバランスが、彼女の魅力だ。私はその魅力に強く惹かれている。どうやら牧田も同じらしい。
「おい牧田、おまえ、もう誘ったことあるんだろ?」
 私がそう尋ねると、牧田は意外と素直にそれを認めた。
「うん、まあな。今度2人で飲みに行こうってな」
「それで、どうだった?」
「そのときは笑っているだけで、はっきりとした返事をくれなかったよ。でも、俺はあきらめないよ。そのうち、また誘ってみるさ。だけど、そういうおまえはどうなんだ?」
「もし俺なら、そんな性急なやり方はしないさ……。もっとソフトにな……」
 牧田は話の先を聞きたそうだったが、私はそれ以上言わなかった。
「おい、山村、おまえ、ニヤニヤ笑っているだけで、どうなんだ。おまえだって、ママのこと好きなんだろ?」
 牧田に問いつめられ、山村は困った顔をした。
「ああ、そうだな。でもなあ……」
 私は、今度ママの誕生祝いに、ネックレスをプレゼントしようと考えている。我々3人の中で、彼女の誕生日を知っているのは、おそらく私だけだろう。その有利な点を活かして、私は彼女にアプローチしようと思った。

 3人ともかなり酔いがまわって、会話がとぎれた時、ママが話しかけてきた。
「ねえ、みなさんは〈北風と太陽〉の話をご存知?」
「〈北風と太陽〉って、たしかイソップの寓話だったよね?」
 山村がまっ先に答えた。
「そう、北風と太陽が力くらべをするっていう話よ」
「ああ、そういえば、子どものころに読んだイソップの本に、そんなのがあったな」
 私が言うと、牧田も頷きながら言った。
「ああ、あった、あった。北風と太陽が、どっちが旅人の上着を脱がせることができるか、勝負をするんだよな」
「ええ。まず北風が力いっぱい吹いて、上着を吹きとばそうとしたけれど、寒さを嫌った旅人が上着をしっかりと押さえてしまったから、北風は旅人の上着を脱がせることができなかったの。でも、太陽が燦々と照りつけると、旅人は暑さに耐えることができなくなって、自分から上着を脱いでしまうの」
「つまり、冷たく厳しい態度で強引にやるよりも、温かく優しい態度で気長にやる方が、結果的にうまくいく、ということだよね」
 私は思わず、我が意を得たりという表情で牧田を見た。
「なんだ。ママはさっきの俺たちの話を聞いていたのか」
 牧田が面白くなさそうな顔をすると、ママは笑って答えた。
「ええ? 何のこと? 私、みんなの話は聞いていなかったわ。そうじゃなくて、このまえ、あるお客さんから聞いたんだけど、この〈北風と太陽〉には、もっと別の話があるというのよ」
 私たちは顔を見合わせて、ママの話のつづきを待った。
「まず最初に、北風が力いっぱい吹いて上着を吹きとばそうとしても、旅人が上着をしっかり押さえてしまったから、脱がせることができなかった。ここまでは、もとの話と同じなんだけど、ここから先がちょっと違うのよ」
「…………」
「次に太陽が照りつけて、その暑さで旅人の上着を脱がそうとしたらね、その太陽の前に現れた雲が、太陽の日射しを遮ってしまい、旅人を暖めることができなくなってしまったの」
「なんでまた、そんなところに雲が現れるんだい?」
 私の問いにママは言った。
「雲はね、いつも北風に吹きとばされてばかりいるから、あまり北風を快く思っていなかったの。それに、雲はね、天気をわるくするって嫌われているのに、太陽は誰からも好かれているから、太陽のことが羨ましかったの。だから、北風と太陽の両方の鼻を明かしてやろうと考えたのよ」

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